猫と寿命について考える

今日はなんとなく書き残しておきたいとふと思ったことを。

突然こんなことを書こうと思ったのは、実家の猫ちゃんが老衰状態に入ったからです。
猫との生活、という意味では1番初めの子ではありません。今ではこんなこと非常識だ、と糾弾されてしまいますが、何十年も昔、家に住み着いていた野良猫が居ました。所謂地域ネコ的な子ですね。たまに寒い日は玄関で寝たり、ご飯をつまんだり、そんな生活をしている子でした。恐らく我が家だけではなく他にも顔を出していたのだとは思います。
野良猫は自分の死期を悟ると姿を消す、とよく言われていますね。実際、私たち家族も誰一人としてあの子の行方を知りません。特に体調を悪そうにはしていませんでしたが、きっと何かを察してどこかへ旅に出てしまったのだと思います。
とても寂しかったことを覚えています。

私は、猫と別れる、という経験をこれまでしたことがありません。野良ネコちゃんは、どこかへ行ってしまったので、自分の目で見送ったことがないのです。
実家の猫ちゃんは家ネコとして初めて迎えた子です。真っ白の保護猫でした。大人になってもずっと真っ白。綺麗な色をしています。家を出るまで、沢山の思い出をくれた子です。
もちろんまだ亡くなってはいませんが、かなり高齢なので家族は覚悟を決めながらお世話してくれていると思います。
家を出てしまってからほとんど会えていませんが、学生時代を一緒に過ごしてきた大切な家族です。早速明日顔を見に家へ帰ろうと思っています。今日から点滴を始めるそうで、少しでも症状が緩和してくれることを願います。

 

縁起でもないと言われそうですが、今回の件とは関係なく、私は常々猫との生活の‘おわり’について考えてしまうタイプです。まだ我が家のサイベリアンは3歳弱が2頭、1歳未満が1頭、と若く元気で幸いなことに大きな病気もしておりませんが、それでも人間の寿命と比べると圧倒的に短いですからね。しかも、人間側に何かしら事情がない限り、必ずこの子たちを看取ることになるわけです。頭では十二分に理解しているのですが、どうしても、どうしても、、悲しくなってしまいますね。
理解したうえでこの子たちと生活してはいるものの、いざその時が来ると考えると、、、涙が止まりません。定期的にぶわーっと泣いてしまいます(端から見ると情緒不安定)。

猫たちは普段から沢山の愛を向けてくれて、本当に日々幸せをもらっています。きっと私のことを好きでいてくれているだろうと、人間のエゴですがそう思いながら過ごしています。でも、どうしてもしゃべってはくれません。本当の気持ちがわからない。だからこそ普段から精一杯の愛情を注いで、できる限りのことはしてあげたい!と思いながら生活しています。
楽しんでもらうためにおもちゃで遊んだり、キャットタワーを用意したり、掃除を徹底したり…常に100%完璧が難しくても、それに近づけるような努力を惜しまず、みんなには幸せだったにゃ~と思える猫生を歩んでいってほしいものです。

 

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